株式会社乃村工藝社
「優しさ」の再定義から始まった人事制度改革――目指すは“世界観”のアップデート

「正解」を押しつけるのではなく、検討材料と選択肢を丁寧に示してくれました
コーポレート本部 人事総務統括部 統括推進課 課長
岩出 友美(いわで ともみ)

本格導入前ながら変化は明確。「真の優しさ」が定着し始めていると感じます
コーポレート本部 人事総務統括部 統括推進課 主任
薊 諒(あざみ りょう)
創業133年の乃村工藝社。大阪・関西万博のパビリオンや、話題のスタジアム・アリーナ、商業施設など、全国で空間づくりを核に成長を続けてきた一方で、役割の曖昧さや、部長や事業部長が課長の実務を行ってしまう「大課長問題」など、人事制度に起因する課題を抱えていた。2023年、同社はこれらを根本から見直すプロジェクトを開始。経営層から現場キーマンまでを巻き込み、役割の再定義と“世界観”の更新に挑んだ。設計だけでなく「運用しきること」を重視し、導入初期から丁寧なコミュニケーションと理解浸透に力を注いだ今回の制度改定。そのプロセスを、人事担当者とFMHRコンサルタントが振り返った。
「空間づくり」の老舗は、なぜ抜本的な制度改定を決断したのか
FMHR 小嶋 まずは、御社の事業についてご紹介いただけますか?
薊 一言でいうと「空間づくりの会社」です。商業施設、企業PR施設、ワークプレイス、博物館、最近では大阪・関西万博のパビリオンなどの人が集う空間を調査・企画・コンサルティングからデザイン・設計、製作・施工、運営まで一貫して手がけています。創業から133年になりますが、時代や社会環境の変化に対応した空間づくりのパートナーとして業界を牽引しております。
FMHR 小嶋 今回の人事制度改定プロジェクトは2023年にスタートしました。どんな背景があったのでしょうか。
岩出 実は、2020年に一度制度改定を行いましたが、部分的な見直しに留まり、結果的に課題が残ってしまいました。役割定義を再整理したにも関わらず十分に活用されず、実際にはコンピテンシーのみで評価していた状況でした。「まずはその不具合を正したい」という思いから、FMHRさんへご相談したのが始まりです。
FMHR 土橋 現状分析をした結果、もっと根本的な部分に課題がある、という結論になりましたね。
岩出 局所的な修正ではなく、もう一度コンセプトから丁寧に再定義していくべきだという議論になりました。役員の皆さんとの対話の中でも、大切にすべき価値観がどんどん浮かび上がってきた事もあり、制度を抜本的につくり直そう、という流れになっていきました。
FMHR 小嶋 新しい制度を設計・整備する段階で、特に重視された点はどこでしょうか。
岩出 一番は「大課長問題」(部長や事業部長などが課長と同じような仕事をしてしまう状態)の解消ですね。当時は、同じ等級の中に事業部長・部長・課長が入り混ざり、役割や責任の線引きが曖昧になっていました。昇格しても役割が切り替わらないなど、役割の不明確さと等級構造のいびつさが重なって起きていたのが大課長問題で、ここをどう整理するかが最大のポイントでした。
制度改定に不可欠だった「優しさの再定義」とは?
FMHR 土橋 ヒアリングやワークショップを重ねる中で、ある“風土”が見えてきましたよね。大課長問題の根っこにもつながる要素でした。
薊 端的にいえば、温情の世界になっていたということですね。「厳しいことを言うのはかわいそうだから」「あいつは頑張っているから」と、重責を担わせるのを避けたり、期待を曖昧にしたりしてしまう風土がありました。今回、人事制度を改定するにあたり、そういう部分も変えなければいけないと考え、「優しさ」の意味を問い直す働きかけをすることにしました。
岩出 これまでは、厳しいことを伝えないことが優しさだと受け取られがちでした。でも、部下の成長のために言うべきことをきちんと伝えることこそが「真の優しさ」ですよね。管理職がその役割を果たせるようにすることが会社の成長にもつながると考えています。
FMHR 土橋 議論が「優しさの再定義」に至ったあたりで、現場のキーマンや経営層の方々と方向性がだいぶすり合ってきた印象がありました。
岩出 そうですね。ただ、実情としては今もまだ難しさを感じているところです。長年一緒に働いてきた仲間に対して厳しいことを言うのは、やっぱり心理的なハードルが高いところもありますから。皆さん、乗り越えようと葛藤してくれているのは確かなので、これからの課題の一つとして取り組み続けていきたいと思っています。
FMHR 土橋 今回の制度改定では「スペシャリストとしてのキャリアを軸にする」という点も、御社らしさだと感じました。この点についてのこだわりや制度上の工夫があれば教えてください。
岩出 まず前提として、難易度の高い仕事を担える人材を増やす必要がある一方で、そういう人材こそを管理職にしてしまいがち、という課題がありました。その結果、スペシャリスト層が育たず、管理職にばかり人材が集中してしまっていた。でも、乃村工藝社は技術やクリエイティビティが強みの会社。専門的な知見や技術がある人材にはスペシャリストとして輝ける場を用意するのが望ましい――役員の皆さんもそこは共通認識として持っていたので、そういう世界観を描く方向で制度づくりも進めました。
薊 本当にそうですね。クリエイティブな、いわば尖った人たちがたくさんいて、それを束ねる“まとめ役”としてのマネジメントがいる。そんな構図のほうがうちの会社らしい感じがします。
経営陣+現場のキーマンを徹底的に巻き込んで議論を展開
FMHR 土橋 経営層や現場キーマンを巻き込みながらプロジェクトを進めていった点も印象的でした。
薊 課題整理の段階から個別インタビューを行い、役員とのワークショップ、現場のキーメンバーとのワークショップも相当数やりました。回数にして、それぞれ20回近くになるかと思います。新人事制度のコンセプトをどうするかというところから、ゼロベースで議論しましたね。
岩出 担当役員が、丁寧に対話し議論するプロセスの重要性を理解してくれていましたので、時間は贅沢に使わせてもらいました。それと、私自身の反省もあったんです。前回の人事制度改定は人事主導で、現場を十分に巻き込めなかった。だからこそ今回は、会社全体で制度をつくっていく空気を醸成したい気持ちが強くありました。役員の皆さんに対する働きかけと、現場の社員に対する丁寧な理解浸透。この両輪をしっかりと回していったことは、今回のプロジェクトの大きなポイントだったと感じています。
FMHR 土橋 ただ、巻き込めば巻き込むほど、意見のとりまとめは大変になるものです。そこに対して、私どもFMHRはきちんと力になれていたでしょうか。
岩出 私がありがたかったのは、多様な意見がある中で「これが正解です」と押し切ろうとしなかったところですね。常に「こういう可能性もある」「別の方向性も考えられますよ」と、検討材料と選択肢を丁寧に示してくれました。そのおかげで、時間が経つとともに、弊社の社員とFMHRのコンサルタントが一緒に検討する雰囲気ができ、良い対話が生まれるようになりました。
薊 定例ミーティングやワークショップの場で、きちんと提案軸を持ちながらも最終判断は必ずこちらに委ねてくれましたよね。その距離感が非常に心地よかったなと思います。
岩出 毎回いただく資料も、とにかく分かりやすくて。議論すべき内容、今どの段階にいて、何が遅れているのか。そういった情報がクリアに整理されていました。過去にも制度改定は経験していますが、「制度ってこういうふうにつくるんだ」と改めて学ばせてもらった気がします。
「制度づくり」と「浸透・定着」は別物と割り切り、初期段階の導入に注力
FMHR 小嶋 ありがとうございます。次は「運用」について伺いたいと思います。御社は制度の設計段階から運用をかなり重視して取り組んでおられましたが、そうした意識の強さの背景にはどのような思いがあったのでしょうか。
薊 制度を整えたからといって自然と浸透するわけではない、というのが基本スタンスでした。2026年春の本格導入を起点に逆算し、特に初期段階の導入設計に注力しました。「設計3割・運用7割」といわれますが、「設計2割・運用8割」くらいの意識ですね。FMHRさんにも協力してもらい、新人事制度の意図を理解してもらうためのコンセプト動画や職種別のオーダーメイド評価者研修、被評価者向けのeラーニングコンテンツの制作と、多岐にわたる施策を用意しました。岩出が先ほど申し上げたように、制度は人事だけでつくるのではなく、あくまで会社全体でつくるもの。コミュニケーションをかなり重視して進めてきました。
岩出 制度の設計段階から現場を巻き込んできたことは、結果的に運用面にも良い影響をもたらしていると感じます。たとえば研修を実施したとき、受講者の中に制度設計を一緒にやっていたメンバーが入っているので、自然と“味方”として動いてくれるんです。研修中に「ここはこういう意図なんですよ」と、その人が補足説明してくれる場面があったりしましたね。
FMHR 小嶋 現在は本格導入に向けた試験的運用のフェーズかと思いますが、社内の皆さまの反応や効果はいかがでしょうか。
薊 役割定義や評価項目に「Do’s(やるべきこと)ドゥーズ」と「Don’ts(やるべきでないこと)ドンツ」を組み込みました。そういう表現方法で従業員の行動指針を規定している企業があると聞き、それを私たちの制度にも応用させていただいた形です。すると、これが社内で一気に流行し、ちょっとしたバズワードになっています。日常会話の中でも「それDon’tsだよ」みたいに普通に使われているんです。
岩出 これは結構大きなことだと私は思っています。人事制度というのは、普通は年に1~2回、評価のタイミングくらいでしか皆さんの意識にのぼらないものですが、「Do's 」「Don'ts」という言葉が浸透することで、人事制度を意識する取っ掛かりが常に身近にあるような形になるといいなと思っています。
薊 それから、全社戦略を記した資料などを読むと、「新人事制度を起点とした~」といった表現がよく出てくるようになったことに気づかされます。これも経営層を巻き込んだことの効果だと思います。また、評価者研修の様子を見ていても違いは明確ですね。部下の成長にコミットする意識の芽生えが感じられますし、再定義した「真の優しさ」が少しずつですが定着し始めている感触があります。
岩出 今回の制度を起点にして、管理職研修の見直しや人材プールの立ち上げなど、周辺の取り組みにも少しずつ手を付けています。皆さんがいろいろなことを考え始めるきっかけになっていて、人事制度が意識されている度合いが以前より格段に高まったと思います。
いかに“世界観”を変えていくか。そのために事実を積み上げていく
FMHR 土橋 では最後に、今後に向けての展望や期待などをお聞かせください。
薊 外部環境も含めてマネジメントはどんどん難しくなっていますし、だからこそ“あるべき役割をしっかり果たす”ことが大事だと感じています。管理職がその役割をきちんと発揮できれば、組織としての力が上がり、負荷も軽減されて、もっと自由に動けるようになる。まずは、そうした効果が見える状態をつくりたいですね。マネジメントの強化は引き続き人材戦略の中心です。役割定義をしっかり担い、発揮できる人が増えていく姿を期待しています。
岩出 今回の制度で役割の軸が明確になったことで、管理職研修もその考え方に沿って再設計できるようになりました。これまでは制度と研修のつながりが弱く、研修のコンセプト自体も曖昧だったのですが、今は制度を拠りどころに一気通貫で展開できています。新任管理職研修や役割チェンジの節目でも同じ軸を共有できるため、役割理解とスキルアップがセットで進む仕組みになりました。制度・定着・育成がパッケージとしてつながることが、これからの組織づくりでは非常に重要だと感じています。
FMHR 土橋 大きな会社ほど、採用・育成・制度とサイロ化してしまいがち。そこをしっかり連携しながら進められる態勢になってきたのはとても良いことですね。
岩出 あとは“世界観”をどう変えるか。制度を変えただけでは、社員に染みついた価値観までは動きません。だからこそ、制度の意図が実際の行動や成果として見える形で表れていくことが大切だと思っています。そうした事実が積み上がれば、自然と世界観も更新されていくはずです。時間はかかりますが、そこに向けて着実に取り組んでいきたいですね。
FMHR 小嶋 2026年春の本格運用に向けて、これからさまざまな課題が出てくると思います。また何かあればいつでもご相談ください。本日はありがとうございました!
※内容およびプロフィールは取材当時のものです